見ないで欲しい

 

 でも、知って欲しい、と言うのはだいぶワガママだ。

ワガママにワガママを重ねて生きている。

 

このブログ、誰にバレてて、誰に見られてるとか、大体検討ついてたりするけど、夜中のバッと溢れた気持ちをおりゃおりゃ書いて、我に返って読み返した時に、これ、誰かに読まれたんだと思うと、恥ずかしくて死にたくなったりする。

でも、ツイッターではすぐ消してなかった事にしてしまうことも、ここには気持ちの悪い黒歴史としてしっかり残してる。本当は半分ぐらい消したい。吐き気がする。

 

 

 

考えとは、一転二転してしまうもので、それは生きていれば何かしら影響を受けてしまうから仕方ないことだ。

あの時と言ってることが違う!っていうのは至極当然な話なのだ。

バカボンのパパみたいな文体になってる。

 

 

私がこんな気持ちの悪いこと連ねてるの知ってるくせに、何となく知らないふりをして、ウザい、キモいと内心嘲笑いつつも仲良くしてくれる人とか、知っているかついじられてるのはあまりいい気はしないけど、まあ何となく恥ずかしさをほぐしてくれるような触れ方をする人とか、いい友達だと思うね。

 

普通だったら無理だね、人間的に。こんな気色悪いこと書いてるデカ女。

 

たまに優しいがすぎる人が、大丈夫?って声をかけてくれるけど、これはそういうためのものじゃなくて。私は基本的にいつでも大丈夫なのだ。ただ思うことや、考えてることはあって、それは人には言えないけれど、自分の中にとどめておくのが苦手だから、「見ないで欲しいけど、知ってくれ」ってそういう意味のもので。難しいけど、私は本当に割といつも大丈夫だ。

 

大体周りの人間、私より高等だし、私より知性的だし、私より優れてる。

そう思うと、まあ、こんなでもいいよね。って思える。

 

 

 

コーヒーがなくなってしまったので、明日の朝は少しテンションが低いと思う。