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ギター

 

最近、部内ライブが近いので、また、スタジオ通いの生活が始まった。

そんなことで、今日はこんなテーマ。

私がギターを始めた理由

ギターという楽器には小学生の頃から憧れを抱いていた。その要因の1つがYUIだ。小学生の私は、大塚愛ケツメイシ宇多田ヒカル等のJ-POP(宇多田ヒカルR&Bとかそんなジャンルかもしれない)が大好きだった。そんな時、私の目の前に現れたのが美少女シンガーソングライターYUIだ。

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『feel my soul』がドラマタイアップ曲になり、世間一般の人々がYUIを認知すると同じように私も彼女を知った。最新はいい歌。ぐらいで、新譜が出たらコソッとチェックする。という感じだった。1stアルバム『FROM ME TO YOU』ももちろん名盤ではあったが、私がガッツリ心を奪われたのは『CAN'T BUY MY LOVE』だった。当時、小遣い制度はない我が家で、私にとってCDは高い買い物だった。貧乏な家庭ではないが、親にCDをねだる事しか出来ず、更に、親もまだ感性も未熟な子どもが欲しいと言ったCDを買ってくれるほど甘くはなかった。仕方なく、アルバムを近所のツタヤでレンタルし、家に帰って聴く。すぐにギターを始めたいと思った。前述した通り、金銭面の問題で親にねだるも虚しく。いつかギターを手に入れる日を夢見て焼き写したMDが擦り切れるほど聴いた。

クリスマスにサンタさんにお願いしてみた(ちなみに、私は小学5年生までサンタクロースを信じていた)。朝起きると、アコースティックギターが欲しいです、と書いたサンタさん宛ての手紙はなかった。しかし、枕元にユニクロのラッピングが施されたフリースが置いてあった。今でも忘れない。

小学生時代の私は、習い事に追われていた。バスケ、ピアノ、水泳、英会話。運動オンチ克服のために始めたバスケと水泳は進んで通っていたが、勉強嫌いの私には英会話は苦痛だった。個人経営の英会話教室で、先生の大きな自宅の和室を利用して行われていたのだが、その教室の雰囲気がなんとも居心地が悪かった。ピアノも長続きしなかった。姉は練習することが苦ではなく、数々の賞を受賞し、お母さんも自宅指導に熱が入り、鼻高々といった感じだったが、私は違った。楽譜通りに、こう弾け!ああ弾け!と言われるのか苦痛でたまらなかった。音があってるんだからいいじゃん!私はここをフォルテで弾きたい!メゾピアノで弾くもんか!みたいなクソガキだった。そして、そんな理由で練習をサボる娘にギターという高価な木を買い与えてくれるわけがなかった。

 

しかし、私は音楽が好きだった。中学に上がるとASIAN-KANG-FU-GENERATIONというバンドに魅了され、銀杏BOYZチャットモンチーを知り、Base Ball Bearを知った。(この時期に東方神起と少女時代にもどハマりしていたのだが、それは割愛する)

バンド音楽への憧れは強くなる一方だが、叶えようとはせず、バスケだけに熱中し、地元の進学校に進もうと勉強するも、努力が足りず、地元の私立高校へ進むこととなる。

しかし、それが私のターニングポイントだった。1人の男の子と仲良くなった。色が白くて、華奢で、端整な顔立ち。私の中学にはいないタイプのイケメンだった。高校に入学してすぐの自己紹介でアジカンが好きだと言った私に、音楽好きの彼は様々なバンドを紹介してくれた。ハヌマーンART-SCHOOL凛として時雨、RADIO HEAD、NUMBER GIRLなど。そして今や私の宗教的存在になっているきのこ帝国。彼無くして、今の私はない。

入学してしばらく経ち、クラスのみんなも互いに打ち解け、和やかになってきた時、例の彼を入れた男3人が、バンドを組もうと盛り上がっていた。内心羨ましいな、と思いつつも、UVERworld浜崎あゆみEXILE、アニソンが好きな友達の話に適当な相槌を打って時間をやり過ごしていた。そんな時、「ボーカル。探してるんだよね。」と、彼が私に声をかけてきた。「私、歌うまくないよ。」「大丈夫。俺よりは上手いし。てか、感性重視」という謎の勧誘にすっかりその気になり、3分で承諾した。

学校祭のステージ発表で披露するというのが目標で、あまり時間はなく、初心者に毛が生えた程度の男3人は必死で練習していたが、私はカラオケのように参加するだけだった。楽器を自分たちでこうしよう、ああしようと話し合い、演奏する彼らは魅力的で、羨ましかった。学校祭に出る、というのもそう簡単なことではなく、野球部等の強化部ばかりに金をかけている私立高校に軽音部はなく、ステージ発表も吹奏楽部と合唱部のためにあるものだった。イチからやるとなると、例年のタイムテーブルに実力も知れない私たちをねじ込んでもらい、吹奏楽部に頭を下げてドラムやアンプを借り、返しなんて存在しないステージ上でパーフォーマンスするしかなかった。メンドくさかった。

そのめんどくさいを乗り越えて、無事ステージ発表は開催された。

その時にやったのはソラニンだった。映画版の。

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これはスリーピースだが、私はピンボーカルでの参加だった。そして、学祭で発表することが目標だったバンドは終わりを告げるのかと思いきや、全員、「楽しかったよね。」「地元の学生ライブ出てみない?」なんてことになり、これがチャンスだと思った私は、「ギターボーカルがやりたい!」と宣言した。さっきも登場した例の彼は、ピンボでチャットモンチーをやりたかったらしいが、私の低い声では到底無理だと思ったし、チャットモンチーをピンボーカルなんてダサい!と私のプライドが許さなかった。彼は私の推しに負け、最初にやった曲つながりで、アジカンのコピーバンドを結成することになる。

とにかくギターが必要だった。何度も登場する彼はギター担当だった。彼にギター購入について相談したところ、お年玉貯金が3万円あるかないかだった私の経済状況を見かね、地元のハードオフで2万円のスクワイアジャグマスターを購入し、中古のギターストラップ、チューナーを買い、シールドやらギターアンプ、ピックをギター少年の彼から貰った。もちろんお古。しかし太っ腹だ。

ハードオフは少し遠くて、初夏のあぜ道を汗ダラダラで歩いたことを今でも思い出す。

 

駅前まで両親が迎えに来てくれたのだが、私の大荷物に怪訝そうな顔をしていた。「お年玉全部使ったんでしょう」「家で鳴らしたらうるさい」「いつまで続くんだか」などと散々小言を言われたが、念願のギターを手に入れた私の耳には届かなかった。

パワーコードをガチガチの手首で弾くのが精一杯で、エフェクターとか音作りとかさっぱりわからなくて人任せだった。それでも、バンド、という憧れに私が参加出来ていることが、嬉しくて、楽しくて仕方なかった。

初めて練習したのは絵画教室だった。

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我ながら、初めての曲にこれを選ぶのは中々ハイセンスだと思う。

地元のライブハウスは格安でイベントレンタルできた。1枚500円のチケットを作り、mixiを使って他校のバンドとつながりを持ち、イベントに出てもらう。コピーバンドばかりのイベントなので、お金を取るなんて本当はダメだ。クソ田舎だから許されていたのだろう。

上手い人も沢山いたが、私は自分がそれなりに弾けて、バンド練習をして、イベントに出れればそれで満足だった。

 

しかし、それで満足していた私は大学で様々な壁にぶち当たることになる。

 

物語ちっくに書いてみたので気がついたら続きを書こうかな。