長い

短い:http://whirl-girl.tumblr.com

終演に向けて思うこと

魅せたい気持ち。

大学で同じ学科だったが、大学を辞め、それを機にサークルを辞めた友達と同じバイト先なのだが、彼女はもうすぐバイトも辞めてしまう。辞めるというのは日本人の価値観で考えてるとすごく聞こえが悪いけれど、正しく辞めることはむしろ素晴らしいことだと最近思う。

大学1年生でスタートに乗り遅れた私を持ち前のストレートな性格で救ってくれた彼女と、なんの接点もなくなってしまうような感じがして、何だかとても悲しい。

 

 

 

彼女が家に遊びにきた。朝の4時まで話した。

私の高校時代のライブ映像(笑)をツッコミまくり、笑いながら見た。その後最近の演奏会動画を見せて欲しいと言われ、2人で色んな動画を見漁った。自分で言うのもなんだが、私、これでも上手くなったのだ。

 

私がメンバーに入ったバンドの動画が殆どだが、録画をお願いされていた先輩方のバンドで、卒業演奏会での演奏が1つ入っていた。偉大だった。2人とも目が潤んだ。

 

私たちの学年とこの先輩方の学年の圧倒的な差は楽しむことだと思う。もちろん楽しんではいるけれど、見せつけてやろうといったドヤ顔が目に浮かぶ感情が滲み出ていないのだ。偉大だ。

 

彼女がボソッと「サークルっていうコミュニティはすごいよ」と言った。

辞めた今、ふわふわやってた私もこんなに音楽好きだったかと思うし、人に見せたい、見て欲しい、人前に立ちたいと思うから、めちゃちゃ演奏会に熱が入ってたお前はサークルやめたら本当にやばいと思うけどな。って言われた。

その通りかもしれないと思った。私はここをやめて何を楽しむようになるのかと考えるけど、何も浮かんでこないのだ。

 

 

 思い入れ、とは。

最近、卒業演奏会が迫っていること、私はどういう時間の使い方をしたらいいのかとか、考えたくなくても考えてしまう。きのこ帝国にしっかり時間だしたいけれど、そしたら他のバンドが全然できなくて、そんなこと考えてたら、私がやりたいバンドは私だけやりたいのでは、迷惑になるかな、ただの負担になるよな、なんて卑屈になったりした。先輩方は時間を出し合って時間を作っていたけど、時間を出したいぐらい思い入れのあるバンドになるということって、普通じゃないのかもしれないと感じる。それか私の今までの自己満足をありありと示されてしまった気持ち。そんなこんなで、そんなこんなだったら全部のバンド1.2曲になりそうでちょっと遣る瀬無くなった。総まとめとはしょっぱいな。

 

もっと楽しい思考回路だいたいけれど、結構難しくて嫌になるね

価値観。感じ方。

キラキラの定義

内定者懇親会なるものがあった。

同期になる子たちはみんないい子なんだけれど、ベラベラと口が達者なお喋りに圧倒された。加えて、男性のあからさまに私には話しかけない態度で、外見の醜さを再認識し、とっつきにくい雰囲気を出してしまったと少し落ち込んだ。

社員の人が「活躍できる人はキラキラしている人です」と述べた。私は、私が好きな世界の中ではそれなりにキラキラしてるつもりだ。好きなことをして、好きな人と遊んで、それなりに労働もしているし、満足だ。けれど、その後の「みなさん、大勢でバーベキューしてる写真とかインスタにあげてそうなので大丈夫ですね!」という皮肉たっぷり言葉に胸が痛くなる。私もそれに近いことはしているけれど、なんとなくそんな人たちとは違うからな、みたいな変なプライドがあった。考え直せばすごく気持ち悪い。

懇親会を終えて、みんなで飲みに行こうという流れになった。だいたいこういうのに参加にしないやつは交流に乗り遅れるのだが、私は夕方の予約していたバスで逃げるように実家に帰った。夜中に同期のグループラインに写真が連投され、今日はありがとうございました!なんてかしこまったラインが送られ続けて、気疲れした。うるせえな。と思った。行かなかった私に「また今度行こうね!」とラインをくれた人がいた。優しい人だなと思ったけど、私が何度もう終わりですよみたいな文面でメッセージを送ってもいつまでもラインが終わらなくて、無視してしまった。スタートダッシュが苦手だ。私は初対面の人と和気藹々活発に話せるタイプじゃない。徐々にゆっくり関係を築ときたいけど、社会に出るとそれは欠点になるのだと思う。社風が社風だ。益々活かせない気がする。

自分を取り繕うのが無駄に得意なために、コケた感がすごい。まだまだこれからなのに不安しかないのだ。

 

 

広告を非表示にする

飛び続けるのは楽じゃないけど

 

心地の良い忙しさが続いていた。

演奏会前の練習をしながら、色んな不安でめちゃめちゃになって、楽しい、苦しいを繰り返していた。

 

最後の部内ライブは楽しいバンド、素敵なメンバー(毎演奏会素敵なメンバーでやらせてもらっています)で、何と無く最後という儚さが楽しさを助長させた気がしている。熱量がいつもと違って、悲しくはないけど、やりきった感というか、清々しい気持ちがしていた。

打ち上げはいつもより後輩とたくさん話せた。今までは、憧れている先輩と話せることってすごく嬉しい気持ちになるという経験はあるけど、私はそんな風にはなれていないという変な自己嫌悪と遠慮で、後輩に話しかけに行こうという気にはなれなかった。しかし今回はちょっと気分が高揚して、お酒の力も借りてしまったけれど、後輩がすごく可愛くて仕方なくなってしまった。ここへきてこんな気持ちになるんだから困る。1年生も素直で面白い趣味嗜好の子が沢山いて、私たちがいなくなっても、きっと面倒で面白いサークルであり続けるだろうなと思った。ちょっと切ない。

次の日は大阪に行くから、二次会には行かなくていいかな、なんて思っていたのに、「最後の部内だよ!」なんて哀しい誘い文句にまんまとハマってついて行ってしまった。こんな言い方をしたけれど、変な話、しょうもない話、ちょっとした相談だったり、他愛もない話で眠らずに楽しんだ。

 

 

始発に乗って家に帰り、3時間ほど睡眠をとって、大阪へ行く身支度を整えた。2ヶ月ぶりに彼に会うのは、そりゃあもういつも通りでいられなくて、関西空港に着いたとき、まっすぐ出口に迎えなかった。トイレで浅黒いクマをつけた自分の顔を見て相当ブスだと不安になった。出口を抜けたところに、相変わらず線の細い身体で彼が立っていた。変に緊張してしまったが、「久しぶり、う◯こしたい、トイレ行く」という彼の第一声に一気に気が抜けた。自分が急にバカらしく思えた。でも、彼は大人しいと騒がしいがコロコロする性格で、ホテルに荷物を置きに行くまでずっと何と無く浮かないテンションな感じがして、また不安になった。美味しいご飯を食べてお酒を飲んだ。楽しい彼になった。今までモヤモヤしていたことが一気に晴れた。

こんなのに振り回されているのは私にとって結局幸せになっていて、つくづくバカ女だし、変な人だなコイツと思っていた。

 

観光らしい観光はあまりしていなくて、彼が8月から住む街の近くを見に行ったり、神社をフラフラしたりしていた。少し関西弁が混じった彼の口調は、何と無く寂しい気持ちになった。

 

 

私は会って充電して、その充電がどんどんなくなって寂しくなってしまうけれど、彼は会って楽しくなって別れる時が寂しいけど、その後の生活で色んなことを吸収して元気になるタイプみたいで、これは男女の違いなのかな。難しいね、なんて話をしていた。

 

 

つまり、私は充電できたので、またしばらく頑張れそうな気がしている。

あの時の鬱々とした気持ちも晴れてきているし、今は何もかも楽しいんじゃないかな、何と無く。私ばっかりいい思いしてるんじゃないかと不安だけど。

 

 

 

あと、彼氏のことを、文面で書く三人称単数的なやつがまったくどれもしっくりこない。でも名前出すのも嫌だ。ちなみに、彼氏と書くのもなんか嫌! 

 

 

 

そして、関係ないけれど、ガリレオガリレイ好きの私には、1年生のガリレオガリレイの演奏は痺れた。URL少ないね。載せない。

 

わかりやすい愛、丈夫な身体

 

一昨日の夜、突然何かの線がプッツンと切れた感じがした。ずっと積み重ねて我慢して、張り詰めていた色んなことの線だ。私は感情をスタンプカード制にしてしまうことがある。ちょっとずつスタンプをポイント利用できるる何かがあればいいんだけど、最近はそういう行事もなく、スタンプもすごい勢いで押されてしまっていた。身体の水分がなくなるんじゃないかと言うぐらい泣き腫らして、パンパンの目でバイトに行った。

 

昼のバイトは同級生のちょっと天然な女の子と一緒だった。

「顔違う?」という謎の発言をされた。「目が一重になった」と答えたら、頭の回転が早い彼女は「ご飯食べながら話そうよ」と言ってくれた。普段なら、悩みをバイト先の人に打ち明けるのは嫌だ。というか悩みを打ち明けること自体、私の憂さを押し付けている気がしてあまり得意じゃない。順序立てて物事話せないし。でも今はもう誰かに吐き出さないとおかしくなりそうで、昼の営業終わりにまかないを口に運びながら、私のメチャメチャな話を聞いてもらっていた。特に内容はなくて、ちょっとこういうことがあって気持ちが浮かないことが続いてたら爆発したと話すと、彼女は持ち前の可愛い笑顔で「わかる、発散大事だよ」と微笑んでくれた。あれしろ、これしろ、言うような子じゃなくてよかったと思った。

 

 

夜営業が始まるまでの休憩中、ラインが来た。昨日夜会えないかと尋ね、実家に帰るから無理だと返された学科の友人からだった。実家に帰るの延期するから飲みに行こうと言う返事だった。本当に嬉しかった。そしてもう2人に声をかけたところ快い返事が返って来て、涙が出るかと思った。

バイトが終わって、0時から3時まで笑笑にいた。特にこれと言った話はしていない。馬鹿話をして、近況報告をして笑っていただけだ。それが本当に心地よかった。ずっと誰かに、みんなに嫌われてるような気持ちがしていて、この人たちは私と一緒にいてくれて、笑っていると思うと、変な安心感があった。

 

家に帰ると最近ずっとお酒でも飲まないと眠れなかったのに、スッと眠りに落ちてしまった。お酒入っていたんだけど。友達が泊まりに来てるのに、布団も出さず。

朝目が覚めると、床に、どこからともなく出て来た布団で友人2人が寝ていた。大学四年間の付き合いの重みを感じた。

 

こんな簡単なことで、気持ちの1つや2つどうなかなってしまうような単純な自分が憎たらしいけど、こうやって処理して行くのがいいんだなと改めて学んだ。

 

頑張る、

 

 

このままじゃ

 

このままじゃ

このままの気持ちでは、

今すぐ全部終わりにしてしまいそうな気持ちです。

 

 

 

あれも、これも、辞めてやりたいという気持ちでいっぱいです。

でも、そんなことしたら、絶対後悔するだろうな、と思ってます。

 

 

 

考えすぎている。多分。

 

私だけな気がするし、1人だけ舞い上がって、馬鹿にされている気がする。知り合い全員に、病んでるなー気持ち悪いんだよって思われてる気がしている。

 

 

でも心のどこかで気付いて欲しいし、誰かに助けてほしくて発信して、あ、何やってるんだろう恥ずかしい、烏滸がましい、と思ってなかった事にしたくなる。

 

 

ずっと胃の奥でドス黒いゴチャゴチャが騒いでいて、今すぐ吐き出さないと侵食されてしまう気がしている。

でも、はけ口がなくて、SNSで濁らせて濁らせて端くれを出して、少しでも楽にしようとして、ああこんなんじゃ、こんなんじゃダメだつらい、しんどいって繰り返して。ああまたこんな事で見る人の目を汚して嫌われてしまう、どんどん周りの人に煙たがられている、最悪だ最悪と思ってごめんなさいと何度も繰り返している。

 

こんな時に誰にも連絡できない私も、

誰にも心配されない私も、

頑張って連絡した友達に断られてしまう私も、

全部私だな〜と思って最高に笑えるし、最高に惨めだな、と思います。

それがお前だよ。その程度だよ。と言われている気持ちです。

 

 

信頼が欲しくて色々やろう、頑張ろうと思ってやってきたこともあるけど、今それを一気に崩されている気持ち。

私のしてきたことは都合の良いことで、誰か怠慢を押し付けられて、誰かの暇つぶしがてらの存在で、誰にも興味持たれてはいないと思わされている感じがする。

 

 

大丈夫、大丈夫な気がする。

なんて、そんなの納得させる為に自分につく嘘で。

私はずーっとこうだった。ずーっと悲観的で自信がなくて、被害妄想の塊みたいな人間で。出したら嫌われると思った。耐えたけど、でも最近また大きくなってきて、どうしていいかわかりません。

 

 

 

嘘でもいいから、そんなことないよって言って、

優しくしてくれる誰かが欲しいです。誰でもいいです。もう。

 

ああまた、これを見る人に気持ち悪いな〜うざってえな〜と思われてるよな〜って思いながら書いている。気を抜いたら泣く。

 

 

誰かに必要とされるか、もしくは、全員に拒絶されて完全に居場所なんて無くされたいです。そしたら潔く全部辞めれます。

 

毎日変な期待をしていて、そんなの辞めたらいいのに、辞めれなくてこまっているから、早く拒絶してください。みんなで私を袋叩きにして、息もできないぐらいにボコボコにして欲しい。汚い、気持ち悪いと嘲笑って存在を排除して欲しい。

 

広告を非表示にする

サークル

 

ギリギリまで大学受験に励んでいた私は、家探しに出遅れていた。信じられないほどボロいアパートか、学生の一人暮らしには贅沢すぎるマンションばかり出てくる某賃貸検索サイト。

ようやく決めた家は4月中旬入居可能で、私は、仙台市中央部の飲屋街脇のホテル暮らしを余儀なくされた。田園風景豊かな自然に囲まれた町(何もないど田舎)で生まれ育った私には過酷だった。たった3日でホームシックを経験するほどだった。

 

知り合いもいない大学でなんとか友人をつくろうと試みるもうまくいかず、オリエーテンションキャンプという地獄イベントを迎えることとなった。運良く、同室の女の子と気が合った。今でも仲良くしている。そして今そこまで仲良くしていない女の子に現在所属しているサークルに誘われたのだった。

 

「音楽かバスケができるサークルに入りたい」と言った私に、運動サークルは危険!軽音サークルの方はいいけど、部の方は実力主義よ!なんて田舎の小娘には分からなかったことも教えてくれた親切な女の子であった。彼女は1年でサークルを辞めた。

 

まあ、大学に行くならサークルに入りたかったし、いい機会だと思って参加したものの、もう仲良しグループ的なものがサークル内で存在していて、先輩と仲良くなっている子もの大勢いた。私は完全に乗り遅れて、あぶれてしまっていた。そんな可哀想な私を見かねて声をかけてくれた子のグループにうまいこと入ってみたものの、何となく成り行きで入ったからバンドとか知らない、と言ったギャルギャルしい子が多かった。正直苦手だと思ってしまったのも事実だ。でも、私がこの組織で生き残るにはすがるしかないのか、と思った。そんなことを考えている自分がすごく性格悪いと思ったし、情けなかった。

サークル最初のバーベキューのようなイベントでも見事にあぶれた。みんながお酒を飲み、お菓子を食べ楽しんでいる中、私は隅で座り、お金だけ払って飲んでいいのかわからないお酒をただ眺めていた。そこでも、私に声をかけてくれたのはさっきも登場した女の子だった。彼女は正直者で、小柄で可愛らしい子だった。そしてその隣にいた女の子も山形県ではみたこともないぐらい可愛かった。その子たちと会話をしていたら何人か先輩方が寄ってきた。あ、ようやくコミュニケーションを取れると思ったが、大きな勘違いをしていた。私には誰も話しかけない。誰も私とは目を合わせていないのだ。みんな私と一緒にいる2人に興味があってやってきたことに気づいた。急に色々な事が恥ずかしくなった。似合ってないショートカットも、何となく芋っぽい服装も、小柄な2人に挟まれた私の大きな身体も、見劣りしすぎる顔面も。何もかもが嫌になった瞬間だった。

私は音楽が好きで、こういう音楽を聴きます、って、田舎高校の1つの教室で述べれば、興味を持ってくれる人がいた。しかし、ここは大都会(笑)仙台。大きな大学で音楽好きが集まった集団。誰がそんなありきたりな話を聞くだろうか。見た目が美しくなければ興味を持ってもらえないし、会話も許されない、なんて思ってしまった。

でもこの環境に屈しちゃダメだ。と悲劇のヒロイン的なことを考えて、最初のサークルライブには出ようと頑張った。一緒に組んでもらった子達のパートや経験的に、ギターボーカルをやることは叶わなかった。弾いたこともないリードギターを一所懸命練習した。バンド練習は、みんなゼロからのスタートだったから、試行錯誤だった。それなりな楽しかった。

本番を無事に終えることはできたが、今度は同級生のレベルの高さに度肝を抜かれた。あの子はどこどこ高校の軽音部の子で、あの人は外バン出身でとか聞いたこともない言葉が耳に入る。音楽好きというアイデンティティーも埋もれ、ギターも、歌も、私は出る幕がないと思った。かっこいい先輩方の演奏も、もう入ってきたときからみんな上手いが当たり前で、こうなってんだろうな、って思ったら、もうやる気がなくなってしまった。更に、話したこともない男性陣に私がギャル呼ばわりされていることを知った。何かちょっとムカついて、大学生になったからかなんか知らんけど、花火しよう、誕生日おめでとう、なんてラインでバカみたいにはしゃいでいる奴ら全員嫌いだ、なんて思っていた。

しかし、なかなか辞めると言えず、ズルズルと過ごしていたら、夏休みを終え、学祭を迎えてしまった。学祭までの期間、何人かの女の子と仲良くなれたが、一緒にバンド組もうなんて声はかかるわけがなく、最初のライブとほぼ同じメンバーで学祭ライブにも出ることになった。そして、その時のスタジオが正直、本当に楽しくなかった。多少経験のある私のアドバイスは誰も聞かず、合わないと不機嫌になる子もいるわ、色々なところに気を遣って気疲れするわで、こんなに楽しくないのは初めてだった。楽しくないままライブに出た。ずっと楽しくなかった。そして、同級生が自分の好きなバンドを上手に演奏する姿を見て、悔しくて、早くやめよう、と思った。

でもそんな私の足止めになったのが、当時の4年生だった。彼らのステージパフォーマンスはああ、私こういう事がやりたくてサークルに入ったんだ、こういう音楽が好きとか、いいとかそんな話がしたかったんだと思った。そして、彼らはすごく優しかった。一個上、二個上の先輩たちは当時私には全く興味がないようなフリだった(と当時の私は思っていたが、今考えれば被害妄想で無愛想でとっつきにくい私に話しかける方が変だ)が、どんな音楽が好きなのか、とか、どういう性格なのかとか、きちんと会話して知ってくれようとしていた。泣くほど嬉しかった。きのこ帝国が本当に好きなんですって話したら、いいよね〜!って言ってくれる先輩は、それだけで大好きになった。まだ希望があると思って、頑張ろうとした。

感じの悪い(と思っていた)練習室に足を運ぶようにした。偏見を頑張って取り除いて色んな人と会話をしようと思った。学祭でお話できた先輩が、私のことを他の先輩方に話してくれたこともあって、何人かの先輩が私に話しかけてくれるようになった。同級生の女の子ともますます仲良くなれた。私をギャルか芋ブスだと思ってたかもしれない人たちは「あの子は急に馴染み始めてどうしたんだ」と思った、みたいな話をチラッとだけ聞いた。

 

そしていつの間にかサークルにいるのが楽しかった。組むバンドも増えた。自分が好きな音楽をできるようになった。演奏会前にスタジオに入るのが楽しかった授業をサボって練習室でアイスを食べることも、ミーティング終わりに飲みに行くことも、深夜にあてもなくドライブすることも楽しかった。

 

そしていつの間にか最上級生になっていた。私は1年生の時の4年生が大好きだった。すごく大人だと思ったし、尊敬できた。今の私はそうではないことだけしっかりとわかっている。

後輩にナメられているのは幸せでもあるから構わない。でも、先輩に可愛がってもらえないことがすごく寂しくなった。先輩が好きで、付いて回っているような奴だったから、こいつはいつも暇だと思われていた。暇だったけど。そしたらスタジオ終わりもミーティング終わりも寂しくなかった。声をかけてもらえたし、私が声をかけても応えてくれた。でもいなくなると、ミーティング終わりに予定がなくて帰るか、無理やり誰かの予定にねじ込んでもらうような迷惑なことばかりしているし、スタジオが終わって楽しく会話してくれる人も少しずつ減って、楽しそうなみんなを背に帰ることも多くなった。そんなことで、って思うけど、今までがそうじゃなかった分、そのギャップが寂しさを助長する。もちろん、慕って貰えるほど器量のある人間ではないし、憧れられるほどの技術も身に付かなったことも知っている。それを考えると、たまに物凄く嫌になることがある。また楽しくない病が発動することがある。同級生間の変な歪みとか、不機嫌を振りまく態度を察知する度に、またか、と思って悲しくなる。でも、それを言及しても性格が悪いみたいな言い方をされてしまって、生きづらいなと思う。もっとハッピーだったのにな、ってしんどくなる。

 

顔面が可愛かったらどうにかなったかな。なんて振り出しに戻ったりしている。

 

最後の1年、こんなんではいけないな、とわかっているよ。

みんなのことしっかり好きだけど、向こうがそうじゃないならズケズケ入ってはいけないし、老害だと思われてんならしっかり身を引くべきだなんて思ってるし。

 

なんか、居場所がないな、って気持ちだ。

サークルばかりでしばらく遊んでいなかった学科の友達を今更ガツガツ遊びに誘えない、というか、ガツガツ遊ぶタイプじゃない子たちだ。私はワイワイするのが好きだけど、そうじゃない人はたくさんいるし、私とは別にワイワイしなくていい人ももちろんいる。

 

ふわっと薄べったく生きれればな、って。

私はあんまり良くないけど、その方が大体幸せか〜とか余計なことまた考える。

 

マジで余計。

 

広告を非表示にする

ギター

 

最近、部内ライブが近いので、また、スタジオ通いの生活が始まった。

そんなことで、今日はこんなテーマ。

私がギターを始めた理由

ギターという楽器には小学生の頃から憧れを抱いていた。その要因の1つがYUIだ。小学生の私は、大塚愛ケツメイシ宇多田ヒカル等のJ-POP(宇多田ヒカルR&Bとかそんなジャンルかもしれない)が大好きだった。そんな時、私の目の前に現れたのが美少女シンガーソングライターYUIだ。

youtu.be

『feel my soul』がドラマタイアップ曲になり、世間一般の人々がYUIを認知すると同じように私も彼女を知った。最新はいい歌。ぐらいで、新譜が出たらコソッとチェックする。という感じだった。1stアルバム『FROM ME TO YOU』ももちろん名盤ではあったが、私がガッツリ心を奪われたのは『CAN'T BUY MY LOVE』だった。当時、小遣い制度はない我が家で、私にとってCDは高い買い物だった。貧乏な家庭ではないが、親にCDをねだる事しか出来ず、更に、親もまだ感性も未熟な子どもが欲しいと言ったCDを買ってくれるほど甘くはなかった。仕方なく、アルバムを近所のツタヤでレンタルし、家に帰って聴く。すぐにギターを始めたいと思った。前述した通り、金銭面の問題で親にねだるも虚しく。いつかギターを手に入れる日を夢見て焼き写したMDが擦り切れるほど聴いた。

クリスマスにサンタさんにお願いしてみた(ちなみに、私は小学5年生までサンタクロースを信じていた)。朝起きると、アコースティックギターが欲しいです、と書いたサンタさん宛ての手紙はなかった。しかし、枕元にユニクロのラッピングが施されたフリースが置いてあった。今でも忘れない。

小学生時代の私は、習い事に追われていた。バスケ、ピアノ、水泳、英会話。運動オンチ克服のために始めたバスケと水泳は進んで通っていたが、勉強嫌いの私には英会話は苦痛だった。個人経営の英会話教室で、先生の大きな自宅の和室を利用して行われていたのだが、その教室の雰囲気がなんとも居心地が悪かった。ピアノも長続きしなかった。姉は練習することが苦ではなく、数々の賞を受賞し、お母さんも自宅指導に熱が入り、鼻高々といった感じだったが、私は違った。楽譜通りに、こう弾け!ああ弾け!と言われるのか苦痛でたまらなかった。音があってるんだからいいじゃん!私はここをフォルテで弾きたい!メゾピアノで弾くもんか!みたいなクソガキだった。そして、そんな理由で練習をサボる娘にギターという高価な木を買い与えてくれるわけがなかった。

 

しかし、私は音楽が好きだった。中学に上がるとASIAN-KANG-FU-GENERATIONというバンドに魅了され、銀杏BOYZチャットモンチーを知り、Base Ball Bearを知った。(この時期に東方神起と少女時代にもどハマりしていたのだが、それは割愛する)

バンド音楽への憧れは強くなる一方だが、叶えようとはせず、バスケだけに熱中し、地元の進学校に進もうと勉強するも、努力が足りず、地元の私立高校へ進むこととなる。

しかし、それが私のターニングポイントだった。1人の男の子と仲良くなった。色が白くて、華奢で、端整な顔立ち。私の中学にはいないタイプのイケメンだった。高校に入学してすぐの自己紹介でアジカンが好きだと言った私に、音楽好きの彼は様々なバンドを紹介してくれた。ハヌマーンART-SCHOOL凛として時雨、RADIO HEAD、NUMBER GIRLなど。そして今や私の宗教的存在になっているきのこ帝国。彼無くして、今の私はない。

入学してしばらく経ち、クラスのみんなも互いに打ち解け、和やかになってきた時、例の彼を入れた男3人が、バンドを組もうと盛り上がっていた。内心羨ましいな、と思いつつも、UVERworld浜崎あゆみEXILE、アニソンが好きな友達の話に適当な相槌を打って時間をやり過ごしていた。そんな時、「ボーカル。探してるんだよね。」と、彼が私に声をかけてきた。「私、歌うまくないよ。」「大丈夫。俺よりは上手いし。てか、感性重視」という謎の勧誘にすっかりその気になり、3分で承諾した。

学校祭のステージ発表で披露するというのが目標で、あまり時間はなく、初心者に毛が生えた程度の男3人は必死で練習していたが、私はカラオケのように参加するだけだった。楽器を自分たちでこうしよう、ああしようと話し合い、演奏する彼らは魅力的で、羨ましかった。学校祭に出る、というのもそう簡単なことではなく、野球部等の強化部ばかりに金をかけている私立高校に軽音部はなく、ステージ発表も吹奏楽部と合唱部のためにあるものだった。イチからやるとなると、例年のタイムテーブルに実力も知れない私たちをねじ込んでもらい、吹奏楽部に頭を下げてドラムやアンプを借り、返しなんて存在しないステージ上でパーフォーマンスするしかなかった。メンドくさかった。

そのめんどくさいを乗り越えて、無事ステージ発表は開催された。

その時にやったのはソラニンだった。映画版の。

youtu.be

これはスリーピースだが、私はピンボーカルでの参加だった。そして、学祭で発表することが目標だったバンドは終わりを告げるのかと思いきや、全員、「楽しかったよね。」「地元の学生ライブ出てみない?」なんてことになり、これがチャンスだと思った私は、「ギターボーカルがやりたい!」と宣言した。さっきも登場した例の彼は、ピンボでチャットモンチーをやりたかったらしいが、私の低い声では到底無理だと思ったし、チャットモンチーをピンボーカルなんてダサい!と私のプライドが許さなかった。彼は私の推しに負け、最初にやった曲つながりで、アジカンのコピーバンドを結成することになる。

とにかくギターが必要だった。何度も登場する彼はギター担当だった。彼にギター購入について相談したところ、お年玉貯金が3万円あるかないかだった私の経済状況を見かね、地元のハードオフで2万円のスクワイアジャグマスターを購入し、中古のギターストラップ、チューナーを買い、シールドやらギターアンプ、ピックをギター少年の彼から貰った。もちろんお古。しかし太っ腹だ。

ハードオフは少し遠くて、初夏のあぜ道を汗ダラダラで歩いたことを今でも思い出す。

 

駅前まで両親が迎えに来てくれたのだが、私の大荷物に怪訝そうな顔をしていた。「お年玉全部使ったんでしょう」「家で鳴らしたらうるさい」「いつまで続くんだか」などと散々小言を言われたが、念願のギターを手に入れた私の耳には届かなかった。

パワーコードをガチガチの手首で弾くのが精一杯で、エフェクターとか音作りとかさっぱりわからなくて人任せだった。それでも、バンド、という憧れに私が参加出来ていることが、嬉しくて、楽しくて仕方なかった。

初めて練習したのは絵画教室だった。

youtu.be

我ながら、初めての曲にこれを選ぶのは中々ハイセンスだと思う。

地元のライブハウスは格安でイベントレンタルできた。1枚500円のチケットを作り、mixiを使って他校のバンドとつながりを持ち、イベントに出てもらう。コピーバンドばかりのイベントなので、お金を取るなんて本当はダメだ。クソ田舎だから許されていたのだろう。

上手い人も沢山いたが、私は自分がそれなりに弾けて、バンド練習をして、イベントに出れればそれで満足だった。

 

しかし、それで満足していた私は大学で様々な壁にぶち当たることになる。

 

物語ちっくに書いてみたので気がついたら続きを書こうかな。

広告を非表示にする